第122回例会(2020年7月例会)のお知らせ

日時
2020年7月4日(土) 15時から16時50分
場所
Zoomを用いたオンライン会議
(ZoomのURLおよびパスワードは7月1日 (水)までに事前登録者宛に送付)
登録締め切り期日
6月26日(金)
事前参加登録URL
公開終了
研究発表:
1.楠田 ひかり(一橋大学大学院生)
The Years における ‘facts’ に基づく共同体観
(The Sense of Community Based on ‘Facts’ in The Years )
2.豊田 麻美(奈良女子大学大学院生)
『ダロウェイ夫人』に見るウルフのフェミニズムの萌芽
(The Germination of Woolf’s Feminist Perspective in Mrs. Dalloway )

7月例会の発表概要

研究発表1
The Years における ‘facts’ に基づく共同体観

一橋大学大学院生 楠田 ひかり

 ヴァージニア・ウルフは、The Years (1937) 執筆中の1933年4月25日の日記において、‘facts’と‘vision’ を同等に描くこと、そしてそれらを組みあわせることによって「現代社会の全体(‘the whole of the present society’)」を提示しようという試みを表明している。本発表では、The Years において、例外的な経験である‘vision’から取るに足らない‘facts’へとウルフの執筆の主眼が移行したという文体上の変化を、時間描写と共同体観の変化として捉え、両者が密接に関連していることについて論じる。そして、そのことから、「現代社会の全体」を描くとはいかなることであるかについて、1930年代後半にウルフが‘facts’に焦点を当てたことを The Yearsという小説、および執筆時のウルフの階級横断的なまなざしを通して検討する。

 本発表の出発点となるウルフの文体上の変化、すなわち‘vision’から‘facts’への焦点の移行は、The Years 以前と以降、より厳密にいえば1920年代の小説と、1930年代後半の小説における移行として捉えられる。また、この移行は、ジェド・エスティが論じるような 1920 年代から 1930 年代における空間表象の在り方の変化と並行して考えることができる。ウルフは1920年代の小説においては主として‘vision’の描出を探求し、The Years 以降、‘facts’の描出に主眼が移行した。そのような‘facts’に価値を見いだすまなざしは The Years においては、第 1 章 ‘1880’ の雨の風景描写における視点の用い方に表れている。この描写では超越的な観者が存在せず、雨に降られる無数の者・物たちと降りそそぐ雨は、どちらも視点であり注視点でもある。さらに、この文体上の変化は、時間性の変化の表れとして読むことができる。1920 年代までの小説では、風景は、その外側に位置する観者が一瞬知覚しうるような、認識の彼方にあるものとして描かれていた。その一方で The Years の雨の描写は、観者がそのなかに存在するような全体性を描き出している。この描写においては、同じ時間軸上でひとしなみに雨に降られる者たち、すなわち、動物や植物、そして階級横断的な人びとは、同等の存在として描かれる。あらゆる者に同時に広範囲に降りそそぐ雨が示唆しているように、誰に対しても等しく過ぎ去る、誰もが関与できる時間を基盤とした風景が示しているのは、例外的な人びとのみが知覚しうるような認識の彼方にある空間ではなく、明確に見ることのできる‘facts’に基づいた全体性である。

 このような‘facts’への関心は、家父長的な家族に代わる共同体の提示というかたちでも表れている。そこでは家族は単に否定されるものではなく、従来の家父長制に基づく家族に代わる、より民主的な家族観が提示される。そのような新たな「家族」とは、第 9 章 ‘1917’ で空襲後にエリナとニコラスが「私たち」の在り方を模索するなかで「新しい結合(‘new combination’)」として示唆しているように、必ずしも異性愛中心主義的な結びつきを基軸にしたものではない。1937年に出版され、1880年から1930年代前半を描いた The Years において提示された代替的な「家族」の観念は、エスティが論じた、1920年代から1930年代後半に かけての帝国から島国へという「人類学的転回」の議論と重なるが、The Years はその議論には収まりきらないような共同性を示している。そこで提示された「家族」は、エスティが Between the Acts の野外劇に見いだすような「集団儀式や公的象徴」によってではなく、‘facts’によって、誰もがひとしなみに関与しうる共同体になりえている。

 このように本発表では、The Years において提示された、あらゆる者が関与可能な‘facts’に基づいた全体性を検討することを通して、ウルフの作品、および1930年代後半における‘facts’の意味を再考したい。

研究発表2
『ダロウェイ夫人』に見るウルフのフェミニズムの萌芽

奈良女子大学大学院生 豊田 麻美

 ヴァージニア・ウルフは、非政治的で審美的なモダニスト作家であるという従来のイメージは、過去 40 年間の研究で覆された。ウルフが同時代の社会問題に関心を持っていたことは、スティーブン・スペンダーの、「ウルフは1930年代の世界情勢を深く理解していたごく少数の英国人のひとりであった」という発言にも表れている。忘れてはならないのが、ウルフが社会問題について考える際、常にフェミニスト的視点を伴っていた点である。リサ・ロウが指摘しているように、ウルフは生涯にわたって、いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」という「文化的構築物としての性(cultural construction of sex)」に関心を持っていた。この関心を発展させ、晩年にウルフは、歴史的に繁栄してきた男性と男性文化が、実は戦争などの社会問題の原因となる支配欲や暴力性といったメンタリティを生じさせると考えた。そのため、『三ギニー』(1938) では、戦争を防ぐには、女性の社会参画を通して社会システム全体を変えることを、目標として唱えている。

 このような広い視野を持つ思想家としてのウルフの一面が発見される過程で、彼女の代表作『ダロウェイ夫人』(1925)も 1980 年代以降、政治小説として読み解かれてきた。アレックス・ズワードリングの論文をはじめとして、『ダロウェイ夫人』を、ウルフによる戦間期英国社会の諷刺とする解釈は、現在では主流の見方の一つとなっている。とりわけ、シェル・ショックに苦しんでいるセプティマス・スミスを通しての、第一次世界大戦とそれを率いた支配階級への批判という形で読まれることが多い。この解釈において、主人公クラリッサ・ダロウェイは、戦争の犠牲者で自殺をしたセプティマスに共感するものの、結局は、ウルフの社会風刺の対象である上流階級を代表する人物の一人として捉えられるのが一般的である。ペンギン版『ダロウェイ夫人』の序文でエレイン・ショーウォルターも、国会議員の妻であり社交界のホステスであるクラリッサを「反抗的な人物(a defiant figure)」として見ることは「批評家たちによって、強く反対されてきた」と概括している。

 本発表は、『三ギニー』に代表されるウルフのフェミニズムと政治的見解を手がかりに、男性中心英国社会の中で、クラリッサが体現する価値観を改めて検討するものである。最初に、クラリッサが、英国家父長制社会から生じる精神面での支配を感じている点を考察する。精神面の支配に対するクラリッサの嫌悪感を見ていくことで、彼女が支配階級とは異なる価値観を持っていることを確認する。次に、作品内で軍事的で男らしい鈍感さが、間接的に「感じやすいこと(susceptibility)」と対比されている点に着目する。『ダロウェイ夫人』の舞台は、大戦終結から5年後のロンドンであるが、いまだに「勇気と忍耐(courage and endurance)」や「克己に満ちた態度(stoical bearing)」という軍人にふさわしい男らしい価値観が、男女に関係なく社会の中で理想的な規範となっている。それとは対照的に、クラリッサは、朝の爽やかな空気や花屋の甘美な空気を吸い込んでは感動し、活気あふれるロンドンの様子や色とりどりの花々を見ては楽しむ。作品内には、純然たる感覚が与える喜びを心から味わうクラリッサの様子が繰り返し描かれている。このような彼女の「感覚の喜び(sensual pleasure)」の追求は、stoical bearing を肯定する男性中心社会の規範とは対極にある。この点を分析することで、『ダロウェイ夫人』には『三ギニー』での主張といえる男性的価値基準への批判の形がすでに表れており、クラリッサは社会諷刺の対象にとどまらず、ウルフが人生の後期に発展させるフェミニズムに基づいた社会的・政治的分析が反映された人物だということを明らかにしたい。