2017年度

第37回全国大会 プログラム 

日時 2017年10月29日(日)10:30~16:20
場所 東洋大学・白山キャンパス 6号館2階 6210教室
〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20
交通 ■ 都営地下鉄三田線白山駅A3出口より徒歩5分
■ 東京メトロ南北線本駒込駅1番出口より徒歩5分

 

受 付(10:00~10:30)
開会の辞 (10:30)
  東洋大学准教授 井 上 美 雪
Ⅰ 研 究 発 表(10:30~12:00)
司会
九州大学教授 鵜 飼 信 光
「脱衣」としての‘fear no more ’ ――『ダロウェイ夫人』にみる類似性
  神戸市外国語大学大学院生 中 土 井  智
司会
一橋大学教授 中 井 亜佐子
“Whose Boy Are You?” ――マンスフィールドの「戦場」としての「パーカーおばあさんの人生」
  八戸工業大学助教 畠 山  研
司会
東京学芸大学教授 大 田 信 良
あるびよん・くらぶ再評価 ――戦後日本の英文学研究についての覚書
  青山学院大学教授 大 道 千 穂
Ⅱ 総 会(13:00~13:15)
司会
青山学院大学教授 麻 生 えりか
会計報告、編集委員会報告、次期大会、その他
  大手前大学教授 太 田 素 子
Ⅲ シンポジウム(13:15~16:15)
冷戦の地政学的読解とイギリス文学
司会・講師
青山学院大学教授 麻 生 えりか
講師
首都大学東京助教 山 根 亮 一
講師
女子栄養大学専任講師 高 島 美 和
閉会の辞 (16:15~16:20)
会長
大手前大学教授 太 田 素 子
懇 親 会 (16:30~18:30)
  会場カフェ ボラーレ(電話03-5800-5842) 白山駅より徒歩1分
  会費5500円(学生3000円)
  〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
  青山学院大学文学部 麻生えりか研究室
  日本ヴァージニア・ウルフ協会事務局



研究発表・シンポジウム・特別講演要旨

研究発表要旨

「脱衣」としての‘fear no more ’ ――『ダロウェイ夫人』にみる類似性

神戸市外国語大学大学院生 中土井 智

 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(1925)では古典の意味がパターン化し、コンテクストに応じて繰り返す様が見られる。仮装したブリテン王女イモージュンを葬送するシンベリンの一節、‘fear no more the heat o’ the sun’を、上流階級に属する議員夫人クラリッサ・ダロウェイと、中産階級に属する第一次世界大戦帰還兵セプティマス・ウォレン・スミスは共に各々の社会的自己を脱ぐときに読む。
 作品冒頭、王家の紋章入り書類かばんを見てそれをさげている人物をヒュー・ウィットブレッドだとクラリッサが気づくように、階級社会の中の個人を描く本作品にて、この一節を介した両者の一致が、本作が意図する「社会批判」の一端になっていることを明らかにしたい。

“Whose Boy Are You?” ――マンスフィールドの「戦場」としての「パーカーおばあさんの人生」

八戸工業大学助教 畠山 研

 キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888-1923)の「パーカーおばあさんの人生」(‘Life of Ma Parker,’1921)はある貧しい年老いた女性の日常とその生涯を描く短篇である。本発表では、雇い主の汚れて散らかった部屋を片付けながらその合間に亡き孫レニーを思い出すパーカー夫人と第一次世界大戦後の不浄に満ちた世界で短い小品を書きながら亡き弟レズリーを求めるマンスフィールドが重なり合う可能性を指摘し、夫人=作者という等式が孕む問題やマンスフィールドにとっての大戦の問題を再考したい。

あるびよん・くらぶ再評価 ――戦後日本の英文学研究についての一考察

青山学院大学 大道 千穂

 昭和24年(1949年)。「敗戦後の文化混沌の現状を直視し、謙虚に、而して毅然たる自主性のもとに、英國文化から改めて何ものかを學び取らうとする人々のくらぶ」として(『あるびよん』1.2(1949.10))、イギリス文化研究会、あるびよん・くらぶが設立された。世界におけるアメリカの影響力がますます強くなる中、とりわけGHQ統治下の日本で、戦後復興の糸口をイギリスに求めようとした一群の知識人がいたことは興味深い。彼らはイギリスのどのような面に惹かれたのだろうか。本発表では、同くらぶの機関誌『あるびよん―英文化綜合誌』(1949-60、全48号)の分析を通して、この団体の設立の意図と活動、成果を考察したい。
 文学、芸術、経済、社会、国際情勢と多岐にわたる関心を、さまざまな領域の専門家がそれぞれに自由に語るスタイルがとられている『あるびよん』の内容を、一貫性をもって説明することは難しい。しかし全体に共通する大きな関心のひとつに、戦後イギリスが目指した福祉国家の行方が挙げられそうだ。このテーマを突き詰めていくと、イギリス特有の互助の精神の在り方、ひいては個人と個人の結びつきの在り方に対する関心が読み取れる。「くらぶ」という言葉が、あるびよん・くらぶを読み解く鍵になりそうだ。戦後イギリスが向かう方向性への強い関心が、イギリス小説を読む視線にどのような影響を与えたのか、という点も併せて考えていきたい。


シンポジウム要旨

冷戦の地政学的読解とイギリス文学

司会・講師 青山学院大学教授 麻生 えりか
講師 首都大学東京助教 山根 亮一
講師 女子栄養大学専任講師 髙島 美和

 Andrew Hammondは、その著書British Fiction and the Cold War(2013)のなかで、冷戦というテーマでイギリス文学を論じることが喫緊の課題だと指摘する。たしかに、冷戦文学研究が確立されているアメリカ文学に比べれば、イギリス文学を冷戦というテーマで真っ向から論じた研究、特に小説を中心とする文学研究は驚くほど少ない。冷戦においてイギリスが果たした政治的、文化的、文学的な役割を論じるHammondの研究は、冷戦をグローバルな地政学においてとらえなおし、かつ従来の米ソを中心とする冷戦やアメリカ文学の読解を拡張、発展させるものである。彼は、核の想像力という冷戦文学研究における定番のテーマだけでなく、ポストモダニズム、ポス トコロニアリズムの文学をも冷戦の文脈で論じる。その研究の意義は、冷戦終結後といわれる9・11や3・11以降の現在にも存続する地政学の問題として、冷戦を時間的、空間的に、大きな視座で解釈しようとする点にあるだろう。
 このようなイギリス文学からの冷戦に対する新たな読解をめぐり、アメリカ文学研究はどのように反応し対話する可能性があるのだろうか。アメリカ文学における旧来の冷戦研究の基本的動向を確認するとともに、ここ数年における新たな冷戦と文学・文化の解釈の進展をどのように受けとめ、さらに、協働的に研究を進めていくことができるか、若い世代のアメリカ文学研究者に参加いただき、議論してみたい。
 さらには、Hammondが本書の中で繰り返し言及する作家ドリス・レッシングとそのフェミニズム批評・フェミニズム文学史における位置付けを取り上げることにより、多くのウルフ協会員の関心の対象でもあるポスト・フェミニズム、第三波フェミニズム、あるいはポストコロニアリズム論など、ポストモダニズム以降のさまざま な文学潮流と交錯する問題についても考えてみたい。(麻生 えりか)

冷戦とイギリス文学

麻生 えりか

 本発表では、冷戦とイギリス小説という、緒に就いたばかりの研究テーマの可能性について、Hammondの仕事を糸口にして考えてみる。まずは冷戦とは何かについて確認したい。その際、敵味方としての米ソの対立がクローズアップされることが多いが、それを鵜呑みにすることは冷戦期の封じ込め言説に取りこまれることでもある。次に、モダニズム作品を冷戦期のソフト・パワーとして国家的に活用したアメリカ文学批評をふりかえる。アメリカでは第二次大戦の終結前から冷戦批評が始まっていたといってもよく、文学対政治の問題としてこのテーマは盛んに論じられてきた。
 そのうえで、British Fiction and the Cold WarにおいてHammondがイギリス小説を冷戦という切り口でどのように再読するのかを紹介し、その読解の今後の可能性と課題を考察する。この著作のほかにもHammondには、第二世界、第三世界と呼ばれる地域の冷戦期の文学や英米でマイナーな評価に甘んじてきた社会的リアリズム作品などの「グローバル冷戦文学」に関する編著書や、ヨーロッパのもっとも近い「他者」として周縁化されてきたバルカン地域の文学表象を分析した著作もある。それらの内容を適宜紹介しながら、彼の研究が開いた冷戦文学 批評の可能性に日本の私たちがどのように応えることができるのか、ウルフやイシグロによるイギリス小説を例に考えてみたい。

日本におけるアメリカ文学者たちの冷戦

山根 亮一

 アメリカ文学と冷戦という主題については,国内でも既に今世紀に入って二つの論集が出版されている.先ず2001年,9・11の直前に,山下昇編集『冷戦とアメリカ文学―21世紀からの再検証』,次に2014年に村上東編集『冷戦とアメリカ:覇権国家の文化装置』だ.後者の「序にかえて」の中で目を引くのは,従来の日本アメリカ文学研究の大半が,ジョーゼフ・ナイの言うソフト・パワーを通じて,冷戦期アメリカ民主主義イデオロギーに影響を受けてきたという指摘だ.疑いなく同書は詳細なアメリカ文学史研究として有益だが,残念ながら上記の指摘については掘り下げていない.実際に,どの程度日本のアメリカ文学研究者達が,アメリカとソ連,民主主義と全体主義,資本主義と社会主義といった冷戦期の二項対立を意識していたのか?この問いは伝記的な性質を含むため,間接的な文献調査だけではなく,直接的な聞き取り調査を必要とする.
 そこで発表者は,日本アメリカ文学会の重鎮,巽孝之先生,折島正司先生,そして後藤和彦先生とのインタビューを行った.質問の内容は,大きく分けて二つだ.一つ目は,「ご自身が受けたアメリカ文学教育・研究にどの程度冷戦の影響があったか」.二つ目は,「ご自身のアメリカ文学教育・研究に,どの程度冷戦の影響があるか」.以上の問いが引き出したものは,深遠な日米の政治力学の認識自体だけでなく,文学と政治をめぐる様々な学術的修養の在り様だった.このインタビューを踏まえ,本発表は冷戦期アメリカ民主主義がもたらした包摂構造,文化的な封じ込め状況を異化し,結果的に打開することを目的としている.

冷戦とドリス・レッシングでエレイン・ショウォールターを再読

髙島 美和

 本発表では、フェミニズム批評において古典ともいえるElaine ShowalterのA Literature of Their Own: British Women Novelists from Brontë to Lessing(1977)を再読することによって、Showalterを歴史的に位置づけることを試みる。彼女はA Literature of Their Ownでイギリス女性作家を三つの時代(ジャンル)に分け、それらの多岐にわたる作家や作品を鮮やかに分析している。しかし、副題にもなっているDoris Lessingの評価には気になる点がある。Lessingの代表作であるThe Golden Notebook(1962)を高く評価しているにも関わらず、その後の作品が「女性の生」を描くことからSF的手法や内容を取り入れたという変化を遂げたことに対してShowalterは理解を示さない。むしろ、不満に思っているのではないかとさえ推察してしまう。
 Showalterが示すこの不満は、冷戦という政治的・文化的状況を彼女自身のフェミニズム批評に取り入れなかった、もしくは、取り入れられなかったという無意識のいらだちを表しているのではないだろうか。この点を考えるにあたり、文学作品の分析だけでなく、より社会的な視点から書かれたSexual Anarchy(1990)やLessingのいくつかの作品を取りあげたい。またそうすることによって、文学批評においてShowalterを歴史的に位置づけることができるのではないかと考える。

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